臨床研修医制度の発足で勤務病院の選択が可能となり、就職の流れが大きく変化

医療に関する広範囲かつ高度な専門知識が問われる医学部は他の学部と異なり、卒業に6年が必要となります。医師国家試験に合格していない学生時代は、医療行為を行うことは禁じられているため、医師免許を取得した医師は先ず研修医として大学病院で働きながら臨床経験を積んでいくことになります。

診療で多忙を極める日々

研修医には前期(2年間)と後期(専門により期間は異なる)があり、多くの前期研修医は非常勤職員という立場で雇用されています。現在の臨床研修医制度が導入される以前は、医師免許を取得後はそのまま母校の大学病院の医局に所属することが多かったのですが、同制度の導入後は、研修医が「臨床研修指定病院」のなかから希望の病院を選んで試験を受けることが可能となりました。

これは研修医と受け入れを希望している医療機関の希望をきいて組み合わせを決定する仕組みとなっており、「医師臨床研修マッチング」あるいは単に「マッチング」と呼ばれています。

新制度の導入によって、従来は研修医の人事権を一手に握っていた医局の力は大きく様変わりししました。研修医が自身の希望で医療機関を選択することは大変よいことですが、一方で研修プログラムの充実している都市部の大病院に研修医が集中する傾向にあるため、地方の医療機関では20〜30歳代の医師の確保に四苦八苦しているところもあります。

この「お見合い」によって無事に配属先の医療機関が決まれば、前期研修医として医師のスタートラインに立てるわけです。最初の2年間はその医療機関で勤務することになり、自分の専門とする診療科以外も受け持つことにより、幅広い知識を備えた人材育成を目指します。前期研修医は月額30万円以上の給与が保証されていますが、アルバイトは禁止です。

前期研修では研修医が一人で実務を行うことは少なく、オーベン(上級指導医)について、病棟内の入院患者への回診の見学・補助、外来患者の診察の補助、術中の処置・助手、病気の経過や治療の報告・検討を行うカンファレンスへの参加などを行いながら、手技の向上、患者・コメディカルとのコミュニケーションスキルの向上を図ります。

看護師に点滴の指示を出したり、傷の縫合を行ったり、手術の立会いに慣れてきたら術中の簡単な処置を行うなどの医療行為のほか、カルテの記入や、カンファレンスに必要な参考資料の準備などの事務的な仕事もあるため、研修医の日常はハードワークそのものです。

後期研修医は、前期から引き続いて同じ病院に採用されたり、大学の医局に入局したり、あるいは全く違う病院に就職するなどのケースがあります。後期研修医は前期研修医の指導も行うため、給与も上がりますが、その分忙しくなります。

医師としてのキャリアパス:「臨床志向」と「研究志向」で進むべき道が変わる

臨床研修医制度がスタートする2004年以前は、卒業した大学の教授をピラミッドの頂点とする医局が人事権を完全に掌握し、関連病院や過疎地の協力病院に若手医師を派遣し、数ヶ月から数年毎に移動させることにより、様々な医療機関で経験を積むことができました。

開業医の若年化が進んでいます

何かと弊害が指摘されてきた医局人事ですが、どんな過疎地の医療機関でも各診療科に医師が在籍し、診療を行なうことができたのは医局人事に因るところが大きいのです。

現在でも前期研修を終えた、あるいはその後の研修中に大学の医局へ戻ることがあります。なかには弘前大学や東海大学のように医局そのものを廃止した大学もあります。

医局を現在も存続しているところでも、医局自体の入局者が減少傾向にあるため、人事を掌握できる人数が減ってきています。

医局に所属する医師が減少すると自分の大学病院の診療に支障をきたしかねないため、従来なら過疎地に派遣できた医師も引き上げざるを得なくなり、これらの医療機関では医師不足になっています。

大学の医局に戻った医師のキャリアパスとしては、@「臨床志向」の場合は関連病院での勤務を続けながら、診療科長などの役職を目指したり、A「研究志向」の場合は、大学院に進学して論文を執筆して博士号を取得し、教授職を目指す、B開業を目指す、という3つのルートがあります。

人口比1000人あたりの医師数は先進国で最低基準の日本

数年前から「○×市民病院が、後任の常勤医を確保できないことを理由に産婦人科の分娩を休止」、「地域の2病院を統廃合」などのニュースをよく見るようになりました。

診療科の偏在も大きな問題

診療科の休止や病院の統廃合の多くは、医師不足が関係しています。勤務医が減ると、残った医師の負担が増え、その苛酷な労働環境に耐え切れなくなった医師が辞めてしまい、さらに医師が不足するというスパイラルに陥ってしまいます。

辞めた医師もどこかで働くことになるのですが、労働条件や待遇などの差によって、「医師の偏在」に拍車がかかっています。

地方から都市部へ、病院から診療所へ、公立から民間へ。診療科による偏在も大きく、産科、小児科、麻酔科、救急などで医師不足が深刻になっています。

医師の偏在問題には、2004年に導入された卒後臨床研修制度で新人医師が研修先を自由に選べるようになったことや、女性医師が増加した結果、出産・育児と医業の両立がしやすい診療科の人気が高まり、負担の大きい小児科、外科、救急科などが敬遠されやすい傾向にあることも関係しています。

厚生労働省によると、医師は2008年末で医療施設や介護施設で診療に従事している医師の数は約27万5000人となっており、人口1000人あたりに2.15人となっています。主に先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)の統計データによると、この数字は全30ヶ国中で27位。OECD平均(3.1人)にするには約12万人もの医師を増やす必要があります。

一方、人口当たりの病院のベッド数は群を抜いてトップです。看護師の数は平均です。このため、ベッドあたりの人数で見ると、医師数は圧倒的に少なく、看護師の数も少なくなります。日本の医療現場が諸外国に比べて、手薄な体制であることが分かります。

医師の仕事の範囲は国によって差がありますが、他国に比べて人数が少ないのは確かす。OECDは原因を「政府が医学部入学定員を制限しているため」と指摘しています。

医学部の入学定員は1979年から医学部のない県を解消する政策が進められ、81年には8280人に増加しました。しかし、1986年に旧厚生省の検討会が「2025年には医師の1割が過剰になる」と試算したのを受けて、定員削減に転換しました。

医師の増加は医療費の増大につながり、ひいては国の財政が圧迫されるという「医療費亡国論」も少なからず影響しました。医師同士の過当競争を恐れた医師会も抑制に賛同し、医学部の入学定員は徐々に減って2003〜2007年には7625人に抑えられてしまいました。

ところが、医師不足が深刻になったため、再び方針を転換。2009年度は過去最大の8486人、2010年度はさらに増えて8846人となりました。厚生労働省の検討会は、将来的に定員を50%増(約1万2000人)にすべきだ、という報告書を提出しています。

医師の需要が増える最大の要因は、医学の進歩でしょう。患者数が変わらなくても、さまざまな検査や治療の手段が増え、患者への説明を含めて作業量は増大します。

医師不足の対処には、絶対数の確保と偏在解消の両方が必要です。しかし一人前の医師の要請には卒後研修、専門研修を含めて10年以上かかるため、効果はすぐには表れず、偏在解消の対策も一筋縄ではいかないのが現状です。